新譜2点 Velvet Revolver / Jeff Beck

リベルタド

リベルタド


  Guns 'N Roses の脱退者3人を軸に結成された Velvet Revolver のセカンド・アルバム。
 この人たちの音を聴くと、なんか故郷に帰ってきたような気持ちになる。癒やされるというか、落ち着くというか。
「古典的・規範的なロケンローとは何か」と問われて喚起されるイメージはロケンロー・マニアの数ほど存在するのかもしれないが、私は私なりにみずからの「ロケンローかくあるべし」的な理念を識らず識らずのうちに保持していたようなのである。「ようなのである」なんて他人事みたいな言い方をしたのは、何年か前に彼らのデビュー作を聴いたときに、「あぁ、こういうのがまさに典型的なロケンローなんだよなあ」という感想を抱くにいたり、自身のロケンロー理念の所在にそのとき初めて気づいたからである。
 そのとき「オメーのイメージするロケンローとはこういうもんだろ?」と突きつけられたような気がしたのだけれど、そういうのをひとから差し出されて「うん、はい、そうなんです」と納得してるのもマヌケな話ではある。
 ロケンローたるもの、低音のギター・リフで強迫的に押しまくるのは基本だとしても、そのリフはきらびやか過ぎたり、過度にキャッチーであったりしてはならない。まったく印象に残らないようなパッとしないリフであってはならないが、あくまでも鈍くさくなければならない。キーとなるコードがメジャーかマイナーかにお構いなく、リフは愚直にマイナーで行け。リフは繰り返し執拗に脳天と腹にたたきこむことで、麻痺した聴き手の感覚において、不快が快に、醜が美に、違和感が調和へと反転するのを誘うようでなければならない。
 リフもそうだが、彼らの出す音は、かならずしも派手ではないものの、聴く側の神経を麻痺させる何かを持っていて、聴いているうちにはからずもこちらの美意識そのものが反転させられてしまう。「気持ち悪い」がすなわち「気持ちよい」であるような、奇妙に倒錯した感じを抱かされるのである*1
 あと、Matt Sorum と Duff McKagan のリズム隊はやっぱりすばらしい。Matt のドラミングは基本的に抑制がよく効いてタイトではあるものの、ひとつひとつの音に重量感があるように思う。スネアにしろバスドラにしろ、体重を乗っけて体ごと落として音を出している感じ(映像で見ても、体を上下して弾むようにして叩いてる。ヴィジュアル的にも気持ちいい、って言うのも変だけど、そんなドラム)。で、音は「ずしん、ずしん」といちいち重いんだけど、リズムに弾むような軽快さが出ていて、なんともこの人の唯一無二の個性だなあという気がする。
 Duff 師匠のベースも不思議な味わいがある。どういうわけか知らないけれど、この人が単純に八分音符をダダダダダと重ねるだけでも、アンサンブルに色気が出る。うまく言えないんだけど、彼の演奏にはヒット・アンド・アウェイを思わせるおもむきがある。彼が近づいたり遠ざかったりするにしたがって、曲の像がふくらんでぼやけたり、凝縮されて色が濃くなったりする印象がある。Matt のドラム同様、自身はけっして出しゃばることなく、アンサンブル全体を変幻自在に伸縮させるまるでレンズのような仕事をこなしているように見える。どういう仕組みでそうなっているのか、わからないのだけど。
 そういうわけで、今作品もお腹いっぱいの逸品であります。




ライヴ・ベック’06

ライヴ・ベック’06


 Velvet Revolver の新譜目当てにおとずれたレコード屋で見つけて、あわてて買ってきた。1ヶ月あまり前に発売していたらしいが、こんなの出てるなんて知らなかった。
 ジャケットには、"OFFICIAL BOOTLEG" なる刻印があるのだが、「オフィシャル」だったら「ブートレッグ」ではないじゃんねえ。「一張羅の寝間着」みたいなことを言っちゃって、しっかり SONY MUSIC から出してるんじゃんかよ。
 まあ「オフィシャル」と言うだけあって、ライブ盤なのに録音状態はいい。ライブ盤を出すのになかなか首をふらないと言われる Beck 先生(だから、「ブートレッグ」だなんて言い訳つけてるのだろうか)を説得して発売にこぎつけたのだとするなら、レーベルの担当者様には多謝であります。
 それにしても、この人のギターは「楽器」というより「声」だ、と改めて思った。まるでおしゃべりをしているような演奏。聴きながら、つい「え? いまなんか言った?」と返事をしたくなる。
 歳をとると、音楽を聴いても、えてしてまともに「音」を聴くということをしなくなってしまうように思う。「音」を直接に感受する感覚は摩耗し、フィルターを通してなんか聴いたつもりになっている、ということが多くなるような気がするのだ。いわば、手前勝手に加工して作り上げたフォルムだけを受け取って、「ふん、最近の音楽はつまらんものばかりだな」などと知った風な繰り言を吐くようになる。ああ、おそろしい。
 Jeff Beck の演奏を聴くと、いやおうなく「音」がはだかで飛び込んでくるものだから、そんな頽廃したおのれの感覚を反省させられる。全体の布置(コンテクスト)において規定される「意味」以前の、物質的な存在としての「音」が、たしかな手触りをもって感触せられる。弦と指のタッチがこれほど生々しく、また繊細にコントロールされた音を出せるギタリストは、空前絶後だ。というようなことは前にも書いたことがあった。
 テンポの速い曲を演奏してもすばらしいのだが、この人の場合、ゆっくりの曲を弾いたときにこそ、その超人的なテクニックが光るように個人的には思う。くり出されるひとつひとつの音のタッチ・音色・余韻があまりに絶妙なものだから、音が空中へと霧散していくのが惜しく思われる。かくして、彼の出す音は、過ぎ去っていく点としての現在に執着しようとし、つまり曲の線としての連続性を断ち切る方向に働くのだけれど、曲は先へ先へと進行していかざるをえない。線としてすでに設計された「メロディの美しさ」(観念のレベル)に加えて、演奏者の技術が哀切の情趣を実体的な「音」として具現させているように思う。


参考リンク
YouTube - Jeff Beck - Goodbye Pork Pie Hat / Brush With the Blues

*1:思うに Guns 'N Roses もまさにそういうバンドだったような気がする。彼らにやられた私の感覚には、グランジはどうも薄っぺらで中途半端に思えて、どうも受け付けなかったのである。