Manic Street Preachers/Motorcycle Emptiness


 この人たちについて書くのは、とてもくすぐったい。アイドル的存在なのです、私にとって。
 ギターを始めてひたすら練習にあけくれたのも、彼らの曲を弾きたいがためだった。ひとつのソロをコピーしようと、ギター抱えながらCDで同じところをなんども再生し、気づいたら朝だったなんてこともしばしば。
 そんなとき、私は妄想の中で自分がマニックスの一員になったつもりであった。「ジェームス、歌に専念しててくれよ。ギターのめんどくさいところはおれが弾いとくからさ」みたいな。アホですね。リッチーが失踪したときは、事情をまったく知らぬ第三者のくせして「すまなかった。許してくれ」なんて勝手に自分を責めたりもした。おめえ何様だよ、死ね。
 そういうわけで、彼らの作品は他人の曲だという気がしない。なので、以下、ジェームスになりきって語ることを許していただきたい。


 この曲は、"SWEET CHILD O' MINE"(ガンズ)をヒントにしたところがある。似てるだろ? ギターのトーンが。
 ガンズみたいに大量にレコードを売るためには、ハードな曲ばかりじゃだめで、バラードもアルバムに入れる必要があったんだ。歌のあいまに、キャッチーで一度聴いたら忘れられないようなギターリフをくり返す。それもハードロック・ファンにだけアピールするような低音でギスギスしたのじゃくって、角のとれた高音で奏でる甘いリフが効果的だと思ったんだ。
 当時のショーンのドラミングは、言っちゃ悪いけどひどいね。まあ、でも彼が簡単なことしかできないからこそ、作曲者としてのおれは知恵をしぼらざるをえないところに追い込まれるわけで、それが功を奏したというところかな、この曲に関しては。ほら、バラードなのに落ち着きのないドラミングだろ? スネアでもって、2拍と2拍のウラ、そして3拍のウラを強調している。
 歌はゆったりと、ギターのリフもゆったりと入れる。これだけだと、ただしんみりするだけだけどね。ドラムでウラを強調して疾走感を演出している。これによって、曲のなかに2つの時間が流れるんだ。ゆっくりと流れるけだるい時間と、それに相反するように前へ前へとせきたてるようなリズムと。沈み込むような鬱の感覚と、焦燥(これを表現するのに、ショーンのドタドタしたドラミングはうってつけだね)が生み出すドライブ感。
 僕たちは、"Gold Against The Soul"という名のセカンド・アルバムを出したわけだけど、とりわけ初期のころの僕らは、矛盾する2つの要素をひとつの楽曲のなかに封じ込めることをテーマにしていたと言ってもいいかもしれない。ロックンロールはスマートにやるだけではだめで、美しさをつき破るパワーが必要なんだよ。凡庸な言い方だけどね。その点、Motorcycle Emptiness は、美しいバラードながら、屈折した強烈なエネルギーを封じ込めていて、成功しているんじゃないかな。


 とまあ、勝手なことを書いてしまいました。こういうの1度だけやりたかったんですわ。マニックス・ファンの人が読んでたら、謝ります。ごめんなさい。2度といたしません。