Jeff Beck/Shape Of Things


 いわゆるハードロックの演奏というのは、どうも戦争や兵器の比喩と相性がいいもんです。なんでだかよくわからないけど。「伝説の爆撃機」とか「サーチ・アンド・デストロイ」とか、そういう言葉で形容されるのは、ほんとふさわしいような気がしてしまう。それも、攻撃される側にとっての兵器ではなく、圧倒的な装備をもって攻撃する側にとっての兵器のイメージが、ロックを聴くときの身体感覚と切り離しがたく存在している。
 もっとも僕は本当の戦場を知らないのであって、だからこういう感覚は映画なんかをつうじて身体化されているのでしょうが。
 ズドドドド、バリバリバリ、ヒューン・ドッカーン。そんなふうにして、廃墟となった無人の街とか、ゼビウス(古!)の絵みたいな無機質な基地を壊しまくる。そんな快楽にハードロックは通ずるような気がする。
 それはもはや当たり前の身体感覚になってしまっているものだから、もし、機関銃や爆撃機や潜水艦のイメージぬきにレッド・ツェッペリンとかに接したら、どんなふうに聴こえるんだろうかと思う。「なぜこんなにうるさくするの?」としか思わないんじゃないだろうか。


 なんか、また本題に入る前に関係ないことをゴチャゴチャと書いてしまった。書いているうちに関係がみえてくるかなあと見切り発車で書き始めたわけですが、関連づけられないや。


 さて、第1期ジェフ・ベック・グループ*1による名盤中の名盤"truth"です。
 なんか、今、この彼らのファースト・アルバムとセカンドの"beck-ola"が1枚のCDにまとめられて売っているのね。お買い得だけど、"beck-ola"は、前作のすばらしさがウソであったかのように、音が空中分解している感じ。個々の演奏者のテクニックが前面に出過ぎていて、バランスを逸している印象が……。って偉そうに言っているおれは何様だ?


 ともかく、"truth"の方は、もう完璧なアルバムですよ。全曲すばらしい。ライブ音源のblues de luxeなんて、もうすげえ、まじすげえ、まじかよとしか言いようがないし、ザ・フーキース・ムーンティンパニーで参加しているol' man riverも渋いんだけど、今日のところは1曲目のShape Of Things。
 というか、このアルバムのどの曲もそうなのだけど、これだけ個性的なミュージシャンが集まりながら、しかも大音量で聴く仕様の曲・演奏なのに、おのおのが変に突出することなくバランスが保たれている。
 適度に軽くて浮遊感のあるベースが肝なのではないかと思う。ロン・ウッドによる、隙間なく小刻みにくすぐるようなベースは、ややもすればせわしなく聴こえそうなものだけど、トーンがまるくてやわらかいものだから、うるさくもないし、過度に重くもならない。なにかふわふわした薄い膜のように働いているように思う。膜の下には広いスペースが確保されている。
 膜のあいまから、ロッドのパワフルなボーカルやベックのギターが、ひょいひょいと顔を出す感じ。ボーカル・ドラムはそれぞれ強烈なのだけど、いくぶん身が埋まるスペースが背後に空いているから、演奏のバランスを崩すような突出のしかたはしない。
 サビでは、それまで表面をべったりと埋めていたベースが間をおいて空隙を作り出す。そうして空いた隙間から、ボーカルとドラムスがドーンと切り込んでくる。しかし、そこでとりわけボーカルのシャウトが激しくなるわけでもなく(だってずっと激しいんだもの)、ドラムの手数が極端に多くなるわけでもない(だってすでに叩きまくっているんだもの)。ベースが膜を解除して穴ができることで、膜の下に埋まっていた部分が、ずんと前面に躍り出てくるようにみえる。
 サビ以外のテンションを落とすことなく、しかも盛り上がるところにはきちんとメリハリがあるというのには、ここらへんに鍵があるんじゃないだろうか。って思いついたことをでまかせで書いているだけなんだけどね。
 ベックさんのギターは、ブレーキをかけながら弾いている感じ。電気ギターは、ただでさえ音が強烈なのだから、ブレーキのかけ方が肝心なのだろうと、思いました。潜行しながらも、しっかり曲に色をつけていく手さばきはもう見事としかいいようがなく、尊敬尊敬、今日も勉強(何のために?)であります。
 あと、間奏のドラムがすごい。まるで絨毯爆撃! という不謹慎な比喩になってしまうのが嫌なのだよ。自分で書いておいてナンですが。

*1:ベック先生にロッド・スチュワート(vocal)、ロン・ウッド(bass)、ミック・ウォーラー(drums)、ニッキー・ホプキンス(piano)。