The Rolling Stones / Wild Horses

 この曲を弾き語る予定がありまして、ここ数日繰り返して聴いている。
 古い曲なんだけど、ストーンズは95年のアルバムでこの曲をセルフカバーしている。その演奏がほんとうにほんとうにすばらしい。
 YouTube にもあったぞ。


YouTube - The Rolling Stones- Wild HorsesAcoustic


 チャーリーのドラムもさすがだが、何と言っても最大の聞きどころはキース・リチャーズリズムギターだと思う。
 彼はここでそう難しいことをやっているわけではない。でも、その簡単にみえることを、何十年も飽かず、繰り返し、続けるというのは、偉大なのだ。この彼の演奏を聴いて心底そう感じる。
 キースといえば、無頼者のイメージがあるけれども、見よ、この度を超した丁寧さを。1回1回のストロークをいかに大事に弾いているか、音を聴けばただちに理解できる。ずさんに腕を振るなんてことは、曲を通して一度たりともしていない。
 なんだか精神論めいてしまうのだが、これは徹頭徹尾、技術論に属すべきことがらだ。ギターはジャラーンと鳴らせば、和音になるわけだけど、アコギの場合、「まとまり」としての和音にのみ弾き手の注意がいってしまえば、ろくな音が出せないような気がする。たとえば5本の弦を「まとめて」弾く場合でも、「まとまり」としての和音の響きを聴くと同時に、1本1本の弦がそれぞれどうたわみ、はね返って鳴っているかを弾き手は聴いてないと、音をコントロールできない。それは物理的な時間の中では不可能なのであって、鳴っている音を心理的に再構成して聴くということだ。
 物理的には、音は鳴るやいなや、順ぐり過去の方向へと消えていく。だから、弾き手や聴き手は自身の心理的な時間を膨らませ、その拡張した時間のなかに、過ぎ去ってしまった音たちをもう一度拾い集め、配置し直さなければならない。言うならば、時間を空間化するということだろうか。その厚み、膨らみの中で、よみがえった音たちが神々しく鳴っているかどうか、ということが、音楽を聴いたり演奏したりするときに、重要なのではないだろうか。
 なんつって、いっぱしの音楽家のような言いぐさですみません。まるで名ギタリストのようなことを言って恐縮です。たいして私は弾けやしないのです。
 それでも、あと何十年か愚直に続けていれば、ちっとはマシになるんではないか、そういう希望をキースさんのような人は与えてくれるのであります。
 音の強弱のつけ方、「ジャラリ」と素っ気なく鳴らすのと「ジャララアーン」と幅を持たせるのとの違い、ピックが当たる角度の微調整、弦をどこまで引っ張ってから放すのかということ。華やかとは言えない、そういったテクニックを時間をかけて磨いていけば、シンプルなどうってことのないバラードですら、ここまで輝くのか、と驚く。