GUNS N' ROSES / Sympathy For The Devil

 ローリング・ストーンズの最高傑作と讃える人も多い「悪魔を憐れむ歌」の、ガンズ・アンド・ローゼズによるカバー。
 「名曲」「名演」と呼ばれるものほど、カバーする側はやりにくいんじゃないかなと想像する。本来は、オリジナルの演奏者に対してカバーする側は圧倒的に有利なはずだ。だって、あとから演る方は、オリジナルを踏襲することができるのだから。ところが、私たち聴く者はやっぱりオリジナルの方が耳なじんでるものだし、とりわけそれに強い愛着を持つ場合、カバーがいかに優れているのであれ、「認めたくない」という心理が働いたりもする。
 しかし、このガンズのカバーには脱帽せざるをえないと思う。




 曲としては、4つのコードしか使わない、いたってシンプルなもの。「E→D→A」のループと「B→E」のループが交互にくり返されるだけ。完全に循環的に閉じられているわけだ。
 ストーンズのオリジナルの演奏(asin:B00006JOR0)では、ドラム抜きのパーカッションとベースが同じパターンを延々と続け、そこにボーカル、ピアノが絡んでいく、ギターのソロパートも入る、といったもの。ミック・ジャガーは、抑えて歌ってもシャウトしても爆発しきらないタイプの歌い手であるから、カタルシスが永遠に先送りされる感じを与えるのである。
 何度かあるソロパートでキース・リチャーズが、ヘタウマな、「最近ペンタトニック・スケール*1を覚えましたよ」って感じ(むろん、実際そんなわけはないのだが)の、でもカッチョいいギターをかき鳴らす。そのギターソロがひとつには曲後半の盛り上がりを支えている。
 先に述べたとおり、ベースとパーカッションはほとんどおんなじパターンをくり返しているわけである。ミックのボーカルは相変らずダルイ。いつだってダルイ。にもかかわらず曲が終盤にさしかかるにつれて盛り上がっていくのは、ギターソロが激しくなっていくこともあるけれど、大きいのは単純にピアノの手数がどんどん増していくから。
 そのさまは、人もまばらなところに1人加わり2人加わりしているうち、ふと気づくと祭りが狂騒にいたっている、といった趣である。いつの間にか騒々しくなっている。我に返るようにして騒がしさに気づく。
 この、ふと意識される周りの「騒がしさ」と、頭の隅に残っている「冷たさ」とのズレが気持ちよいと思う。永遠におんなじところでまわり続けるリズムとコード。この出口のない冷たさと、いつの間に巻き起こっている狂騒。思うに、騒々しさを美的に感受するためには、冷たい頭が必要なのだ。どこかに残る冷静さがあって、はじめて騒々しさは、私をおびやかさぬ「風景」として、鑑賞にたえうるものとなろう。




 そうそう、ストーンズではなく、ガンズの話をするつもりなのであった。
 ガンズが演るわけだから、当然音は分厚いわけである。よくひずんだハムバッカーのギター2本。スラッシュのリード・ギターは例によって激しいもの。これだけで相当に厚いのだけど、ストーンズのオリジナルと異なり、ドラムを使っている。タムなんかも打ちまくって、原曲でパーカションが出している雰囲気を再現するのである。ために、余計に音の重さ厚さは増す。
 もともと重厚なのが、何しろ超絶技巧派バンドのこと、終盤へと進むにつれそれぞれが技をつくして全体の濃度を加速度的に上げていく。スラッシュはねちっこくかき回し、マットはますます殴打を繰り出し、ダフはブンブン振り回すのである。このまま行けば、絶頂までテンションは高まり、すべての要素は大団円へと収束していくはずである。
 そう。はずである。しかし、そうならない。なぜか。アクセル・ローズが最後まで和解しないからである。いやあ、わかりますよ。ガンズ苦手な人はアクセルが嫌いなんでしょ。私もどうもこの人、気に入らないんだけど、ガンズ以降のロック界(「ロック」なんてものを引き受けるミュージシャンがどれだけいるのか、という疑問は措いといて)に彼以上のボーカリストは出たかと言ったら、やっぱり出ていないと思う。少なくとも、この曲でのアクセルのすごさは特筆すべき。好きでも嫌いでも。
 意図的な音程ずらしをやるのである。というのは、合わせたりずらしたりするということであって、ずらしっぱなしというのではないのだけど。序盤は、低音でクールに要所要所の音外しをするのだが、これが悪魔的なのである。終盤に近づいてバックが騒がしくなるとどうか。声がかき消されぬよう、例のウキャーゆう高音シャウトがくる。ここでもしバックとぴたりと重なるとすれば、序盤のずれが解消されていき、曲は一点に向かって収束していき、大団円、カタルシスを迎えるはずである。実際、ボーカル以外のパートは一点に向かって突っ走る。ところが、アクセルは終始一貫して、絶妙なタイミングで外してくるのである。ところどころに気色悪い音が入るのである。
 そうなると、聴き手は、脳でもってみずからの感覚、耳をだまそうとせざるを得なくなる。つまり、頭脳で演奏のずれを「補正」しようとするわけだ。この気持ち悪さ、居心地の悪さがたまらんのである。もう、アクセルに釘づけにされてまうのだ。天才的に歌がうまいってこういうことなんじゃないかと思う。"Sympathy For The Devil" って、そりゃそうでっしゃろ。まちがっても天使の歌声なんかじゃない。

*1:たとえばキーがCの曲で言えば、ド・レ・ミ・ソ・ラの5音からなる音階。ブルーズや単純なロックだと、この5音だけをデタラメに弾いとけば、それなりにかっこよく聞こえる。